のんびり王子の成長記

小児科で

ツーショット紹介された小児科のT先生は、とっても当たりの柔らかい、信頼できる先生でした。ダウン症についてや、合併症についてもいろいろお話してくれ、時には絵も描いてくれました。私たちはネットで調べて知っていることの復習だったので、ふむふむと聞き、質問がなかったので、会話が続かなくて、いい先生なのに申し訳ないなぁと私は思いました。ちょっとはわからないふりして、先生に聞いたほうがいいのかしら?と、またしても良い患者を演じようとしてしまいました。

血液検査で、染色体を調べると言うので、赤ん坊の小さい手の甲から血を抜きました。
看護師さんが「お母さん、赤ちゃんがかわいそうで見ていられないようなら、カーテンの後ろで待っていてもいいですよ」と気を遣われたけど、私は、そんなかよわい精神は持っていなかったし、赤ん坊からどうやって血を採るのか興味があったので、見ていました。
アキラは針を入れる場所を探すために、手をギュッと握られたときは泣きましたが、針をグイグイ入れているときも、血を抜いている間も、針を抜くときも泣きませんでした。
旦那と「泣くのは最初だけやな」と観察結果を確認しあいました。

結果が出るのは一ヶ月後でした。
これが長かった。私はダウン症ならダウン症でいいから、早くみんなに告知したい〜と思っていました。待ちきれず、何人かの人にはフライングで伝えてしまい、相手の方々にはご迷惑をおかけしました。

ダウン症確定

アキラ一ヶ月後、T先生はアキラの染色体を写真で見せてくれました。ペールにふにゃふにゃのヒゲみたいなものが散らばっており、もう一枚の写真では、いわゆるXの形に近い二本で一対の染色体たちが整然と並んでいました。21番目の小さい染色体ちゃんだけが3本並んでいて、ほほーと私は感心し、何となく可愛いなと思いました。 先生はいろいろ説明してくれたのですが、私の頭の中では、「あの散らばったヒゲから、どうやってこの整列になるんだろう?」ということばかりが気になっていました。白衣でメガネの検査技師が、真剣に染色体をピンセットでつまみながら並べ直している図を連想して、心の中で笑ってしまいました。

唯一の心配事

ヒトミと一緒にこのときも先生が言葉を切ると、私たちは沈黙に包まれました。もっと良い患者なら、ここで先生が待ってましたと答えられる質問をするのでしょうが、私たちには杞憂がありません。
でも一つだけ、絶対に聞いておかなければならない質問がありました。
それは、アキラが生まれる前から予定されている、半年後のハワイ旅行のことです。旦那はもう来年の旅行計画も立てているのです。アキラが行けないとなると大問題です。

「質問はありませんか」と先生に言われ、旦那が尋ねました。「飛行機に乗せてもいいですか? 海外旅行とかで」
先生は、一瞬考えて、にこりと笑って言いました。「いいですよ、でも一ヶ月の子を長時間乗せるのは…」 先生、いくら何でもその辺は了解してますとも。わははとお互い笑ってしまいました。
他に質問はなかったので、診察は笑いの中、終了しました。
私たちは「ヤッター、ハワイに行けるぅ」と幸せな気分で病院を出たのでした。

我が家の気持ち

姉弟これが、アキラが生まれて、ダウン症の診断を受ける一ヶ月までの我が家です。
彼がダウン症であることは、うれしいことではありませんが、うれしくないことかと言われると、そうでもないと答えると思います。今さら染色体を一本抜いてくれ、とは言えないので、そのままで結構ですという感じかな。
これから、どの程度の発達障害があり、後から病気になるかもしれませんが、それはそのときになってから、出来ることをすればいいのですとT先生も仰ったので、そうしようと思います。
でも私は野次馬根性があるので、「療育」とか「親の会」という未知の世界に興味津々です。新しい世界を見せてくれるアキラに、実のところ感謝しています。

おでかけ開始〜お宮参り

お宮参り病院以外のおでかけとして、手始めに「お宮参り」と「お礼参り」を兼ねて、中山寺へ行きました。2月にしては暖かい日で、梅がきれいに咲いていました。お宮参りとは名ばかりで、お賽銭を投げて健康を祈っただけでしたが、安産祈願をした手前、ご報告はしておこうということで、行ってきました。アキラはずっと眠っていましたが、母子健康のお守りをいただいて帰宅しました。